ゆるふわOLの日記

元激務系・現9時5時OLの日記

蚊取り線香と夏の夜

六本木から芋洗坂を下って行くと, 炉端焼き屋がある。いかにもな和風の建築で, 縁側に座って料理を食べられる。いつも外国人観光客でいっぱいで, 昨日もアメリカ人のグループが写真を撮っていた。

先月から, その店の前に行くと蚊取り線香の匂いがするようになった。7月に入って, 蝉の声が響くようになって, 夕暮れ時に坂を降ると, あたかも子供の頃地元で過ごした夏のように感じられた。

 

「港区に蝉はいないんじゃないか?」

と, 一緒に住む恋人は私に言った。けれども, 蝉の声はしているし, 近所のドラッグストアには, 虫刺されの薬が多量に置いてある。そういうものを見ていると, ここがあくまでの自分の子供のころの自分の人生から地続きであることを強く感じる。
大きく何かが変わることはない。

 

鏡を見る少女

駅に鏡の前に立って, ずっと自分の姿を見つめ続ける少女がいた。

 

彼女は身長170センチ程度, 顔は中城あゆみくらい小さくて, アンニュイな表情は垢抜けさえすれば人気モデルになれるであろう貫禄を感じさせた。制服姿だが, すでに事務所には入っているだろうか。

 

今日, 私は父と祖母に会いに, 川崎まで行ってきた。毎年恒例のことだが, 美味しい卵をもらったから取りに来いというのだ。実に1時間半かけて暑いなか祖母の家まで行く。ついた頃には2時だったが, 昼食が出てきた。

そのもらった卵で作られた卵かけ御飯とニチレイの唐揚げ, 酒の塩焼きを食べる。卵かけ御飯は, ご飯の温めが足りないせいでうまいというよりむしろまずい。その飯を書き込みながら,従妹が自衛官となって働き始めたこと, 妹が祖母にお年玉をあげたことを話した。

しばらく話して, 父に駅まで送ってもらった。

 

毎度のことだが, 両親に会うことは緊張する。
1年前仕事を休んでいたにもかかわらずNY旅行に行ったせいでつくった借金を返していないことを責められるのではないか, 妹と比較して甲斐性がないことを嘆かれるのではないか, 仕事が続かないことをなじられるのではないかと思ってびくびくするのだが, なんのことはない「食べているか?」と聞かれる程度のことである。あとは世間話, 運動しているのに痩せないだの最近業界の景気が悪くなってきたと父が語るくらいである。

 

父にもらった「教団X」(我が家は読み終わった本は家庭内で回すのだ)を読みながら, 新宿に向かう, 紀伊国屋で「太平洋戦争のロジスティックス」という本を見つけてきになるも, 時間がないのでメモをとり ,時間がないと言いながら無印でワンピースを買った。生地が二重になっていて非常に理想的なワンピースであるのだ。

 

用事を済ませて帰ったのち, 冒頭の少女を見つけた。 

 

私も昔は鏡ばかり見ていた。芸能をやっていたからというのが言い訳だ。誰もが振り返るくらい綺麗でないと, 売れないからだと言っていた。

その言い訳は半分正しく, 半分は間違っている。
預金口座を見てにやにやしているようなものなのだろう。資産があることを確認して安心したいのだと思う。

 

彼女はこれから10年後どんな姿になっているだろうか。
鏡など必要としない強さがあればいいなと思う。

7月になってしまった

暑くて寝苦しくて, 夏が来たことを実感させられる。すっかり夏バテである。もう7月になってしまったのだ。1月に立てた目標はあらかた達成の目処が立たずに忘れられ, いつもの通り焦燥感にかられている。

といっても, それは夏に限ったことじゃない。私は季節の変わり目になれば体調をくずし, 夏には食欲が失せ, 冬には喉風邪を引く。目標に向かって突き進むより, できない自分を省みて歎息することの方が多い。

つまりはいつも通りだ。

 

金曜日の夜ということもあって, 六本木はすごい人だった。綺麗に着飾った女の人が目に入る。合コンだろうか, デートだろうか, それとも仕事だろうか。プロを見分けることは簡単だ。売れる容姿があるかないかですぐわかる。それは美人かどうかとは直接的には関係ない。きちんと手入れされた盆栽と, ただの鉢植えの違いみたいなものだ。すなわち, 売れるように手をかけられているかどうかが問題なのである。

 

昔, 働いていた六本木のキャバクラにいた女の子たちは, そのあたり抜かりがなかった。

着ているものは大抵Snidelとか,そういうありふれたブランドなのだけれど, お金をかけられるおかげに組み合わせに妥協がないことと, 顔とスタイルが良いせいで余計におしゃれに見える。

これに私はどうしても慣れなかった。高いインポートもののモードの服を着ている普段より, たまに着ているありふれたぺらぺらの花柄のワンピースの方がうけが良かったりした。

そういうことは私のプライドをひどく傷つけた。まあ, プロ意識が足りないのだ。

キャバクラ嬢だったとき, やたらと褒められた服があった。それは紺色の綿のノースリーブワンピースで, ウエストできゅっとしまっていて, 膝丈くらいの長さであった。

私はそれをユニクロで買って普段着にと思って着ていたのだけれど, 思いの外評判が良かった。ちょうど体型にあっていたんだろう。

 

あのワンピースはワンシーズンでぼろぼろになって捨ててしまったが, この夏ほとんど同じデザインのものを見かけて買った。といっても, もう褒めてくれるひとはいないし, というか褒められたら人事にセクハラでつきだすのだけれども, あいかわらず, 着心地が良い。

袖を通すたびに昔のことを思い出す。

 

あのワンピースを着ていたとき, ちょうど就活中で, なんとか小さなコンサルティングファームに拾ってもらった。その会社は, 働いていたキャバクラから歩いてたった10分のところにあって, 私は面接が終わってからそのまま出勤した。

昔は, 場に似つかわしくない学歴だからという理由だけでちやほやされたけれど, それが当たり前の世界に行き, そして, まったく価値を失ってしまった。

ただの平凡な人間になったことが惜しくもあり, 幸せでもある。

 

 

 

人生とさとり

宗教について

 

何か宗教的なものに帰依したとき, いきつくさきっていうのは, 教祖そっくりの人間になって自分も教祖になるか, 永遠に信者として搾取され続けるか, 外にでて普通の人間として生きるかの三択だと思う。

 

何が幸せかは知らない。

 

悟りについて

昔, 多分あれはうつ病が治ったタイミングだと思うんだけれど, 悟りを開いた瞬間のような神秘体験を何度かした。

 

瞑想中に世界と自分が一体となっていると感じたり, 目に見える世界の色が変わったり。そういうときは, 自分が世界の真理に近づいたようなきがした。

少なくとも仏教的な悟りの境地に近いところにいっていたと感じる。

 

ただ, そのあといろいろあって就職して, わりと普通のサラリーマンとしてすごしたあと, そういった神秘体験を得ることはなくなった。

前よりもずっと生きやすくなったけれど, 神秘的なものからは遠ざかった。

 

だから

結論は特にないのだけれど, 前にくらべて変質したことをかんじているのだ。

 

 

図体を大きくする

木曜日は馴染みの整体に行った。

脚やせの秘技を開発したとやらで, その実験と宣伝用写真撮影に使われることになった。あまりに通っているので, 安いかわりに実験に使われるのである。

脚は目に見てわかるほどに痩せた。

以前同じように顔痩せの実験に使われた時と同様音叉を使って皮膚を震わせる。それはどうも昔友達のサロンで受けた超音波顔痩せと同じ原理のようだ。

 

世間話をしている最中, 家事の分担に不満があるのだ, という話をした。掃除はすべてわたしがやっているし, 彼はきっと皿洗いはしているとの意識があるのだろうが, 排水溝のゴミ受けのゴミを出して洗うところまではしないのだと。

 

すると馴染みの整体師は, 「そもそも貴女の口癖が"ほんとうに?"であることからもわかるように, 騙されやすい, 影響されやすい人間なのです。それを利用する人は狡猾に, 騙されやすい人間を選ぶんです」と言った。

 

走馬灯のように様々な出来事が頭にうかんだ。詐欺師みたいなカウンセラーの元彼とか, ろくでもない芸能事務所の社長とか。

 

整体師は, 「自分を大きく見せればいいんです。そのためには自己イメージを大きくすればいい。自分のこのビルのサイズほどあると想像してください」

 

私は目をつぶって, 自分のまわりにある液体のようなものがビルを満たすイメージをした。するとどうだろう。自身がみなぎるように感じられた。

 

そのまま帰って, 翌朝, 家事分担に不満がある旨を伝えた。

すると話はあっさり通って, 一部の掃除を彼が分担することで話がついた。また, 皿洗いとはゴミ受けの掃除も含むことも了承された。

 

 

 

 

 

 

夷川海星

 昼に私は彼に寿司に誘われた。

「ねえ, 土曜日美味しい和食おごったよね」と言われた私が出すことになった。

土曜日の夜, 私が美味しいと思っている和食屋に行ったら思いの外高かったのだ。メニューに値段が書いていないことには冷や汗が出た。そういえば, 今まで会計を出してくれる人としか食べに行っていなかったから, いくらかかるかなどは気にしていなかったのだ。

昼の寿司は, よく行く会社の近くのチェーン店である。いつも通りたいして美味くない。しかしながら, たまたま会社の人がいて, 衝立に二人で隠れたのは非常に面白かった。

 

anond.hatelabo.jp

 

仕事の合間にこんな記事を読んでいたせいなのか, むかし働いていたキャバクラの近くをとおりかかったせいか, 帰り際, むかし付き合った, あるいは付きあわなかった人たちの顔がうかんだ。

就職してからもしばらくキャバクラの癖が抜けなくて, 誘われると愛想よく返事してしまうことが多かった。それで, 口説かれた取引先の人とか, あるいは客から彼氏になった人の顔とかが浮かんだ。

その人と一緒にいることで, 楽しいとか幸せとかっていう感情以外の便益を自分が求めた瞬間に気持ち悪くなる。

 

あと, 私は年下の方が好き。

そのうちに, 私が金を払う側になるのだと思うと気が楽だ。愚かしくも金ではない要因で愛されたと思いたがるおじさんたちの仲間になるのかと思うと辛くもあるが。

 

帰宅して有頂天家族2 8話を見た。

夷川海星が矢三郎の前に姿を表さない理由, ちょっと泣きそうになった。かわいい。

 

ジョーカーゲーム

1ヶ月くらい前, アマゾンプライムで『ジョーカーゲーム』を見ることにはまっていた。ブームはアニメを超え, 原作を読み尽くしても尚続いている。

 

 

ジョーカーゲーム』は第二次世界大戦開戦直前に設立された帝国陸軍のスパイ達の話だ。各スパイが活躍する様を短編で追っている。

彼らは, サイパン島が消された地図からサイパン島の場所を問われ, その後その地図の下に置いてあった品物を問われると言ったテストを突破し, 真冬の海を泳いだ後, 意味のないテキストを暗唱させられると言った訓練をやすやすとくぐり抜けた者達だ。

「彼らを支えているのは, 自分ならばこの程度のことはやれなければならないという思いなのだ」と何度も作中に出てくる。

 

ふと, 私がその時思い出したのは, 証券会社の投資銀行部門で働く友人の顔だった。彼は, 早くて夜中の2時, 遅くて4時まで働き, 朝何事もなかったかの様に7時に起きて出勤していった。

彼は言った「ゲームみたいなものだ」と。一つ一つのイベントをクリアしていくことに喜びを感じているのだと。

 

こういうタイプの人は私の周りに多くいた。一般的に優秀とされている様に思う。そして私は, こうなれなくて脱落して別の世界にきた。

私は常々, 彼らのこだわりのなさと言うものが恐ろしかった。政治的な主張も, 趣味的な主張もほとんどない。いや, 美味しい食べ物やスタイリッシュな衣服を好んでいるかもしれないが, それに対し強い「こだわり」の様なものを感じることは少なかった。

 

それはおそらく強みと言うべきだが, こだわり≒強く欲しいものがないにもかかわらず, 過酷な環境に身を置く姿は正直狂気としか思えない。同時に狂気は一種の様式美として目に映る。ジョーカーゲームに惹かれるのもそんな理由か。

 

私の様な凡庸な人間には眩しくうつり, 惹かれるのだ。